2017/08
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カンボジア:倉田さんの胡椒
カンボジア:倉田さんの胡椒

今回は、倉田さんの胡椒のお話です。詳細は下に張り付けた倉田さん自身が書かれた文章を読んでいただければわかるのですが。(<<手抜き(^_^;) ポルポト~内戦時代にカンボジアの国土は荒れ果て、700年以上続く胡椒の産業も廃れていたのをなんとかして再興させようと、カンボジア中を歩き回ってやっと3株の胡椒の苗を見つけ、そこから胡椒農園を立ち上げ、最初は生産量22トンだったのが、多くの企業が生産するようになり、2015年春現在で8500トンに増えるなど、カンボジアの胡椒を生産量世界6位という一大産業に育てるきっかけを作った方です。(文章にするといろいろはしょってこのくらいですけど、これまでには多くの苦労をして来られたのでしょうね…)

クラタペッパーのホームページより

私がカンボジアに興味をもったきっかけは、1985年に映画『キリング・フィールド』(1984 Warner Bros.英) を観たことでした。その後1991年の湾岸戦争を機に、人的貢献を望みNGOに参加し、翌年に念願のカンボジアへ派遣されました。まさに「ここから国づくりが始まる」というタイミングでこの国と関わりをもてた事が、今日まで私をここに留まらせているのだと思います。

1970年代の内戦のため、インフラも産業も人材も何もかもを失ってしまったカンボジアの再建には、いろいろな分野からの支援が必要でした。一人の日本人として出来ることをいろいろ模索し悩みながら、1994年に農業の立て直しをしたいという想いいから、起業を決意しました。またちょうどその頃、内戦前にカンボジアを訪れていた祖父から、60年代の貿易資料を日本で譲り受けました。そこには当時のカンボジアの主力農産品の記載があり、その中のひとつに「胡椒」がありました。

カンボジアの胡椒は、60年代にはフランスをはじめとするヨーロッパで最高品質として有名でした。歴史も古く、13世紀の後半には、すでに中国にも紹介されています。しかし、70年代からの内戦により農園は壊滅され、人々の記憶から消されていきました。その「世界一美味しい胡椒」をもう一度復活させようと、以前の産地の農家を周り、調査を開始、そして「コッコン州スラエアンバル」で地元の人々と共に、胡椒農園を広げることにしました。

私が最もこだわったのは、安全で高品質な胡椒を生産すること。カンボジアに古くから伝わる伝統的な農法で栽培を続けてきたことによって、2011年1月にはカンボジアオーガニック農業協会より、カンボジアの産物の中では初めて「国内オーガニック認定」を取得しました。

世界一と誇れる胡椒を通じて、カンボジアの産業をこれからも育成し続けたい、そして世界中にカンボジアの良さをこれからももっと広めて行きたいと思っています。(http://www.kuratapepper.com/about.html)


引用おわり

この胡椒、とにかく風味が良くて、大人気なのだそうです。特に“完熟ペッパー”は一房に1粒か、多くて3粒しかない、真っ赤に完熟した実を集めたもので、果肉に甘みや旨みのあるものだそうです。それらの胡椒を一粒ひと粒、手作り・手作業で仕上げることで“付加価値”をつけているそうです。(ちなみに、倉田さんの胡椒は自然農薬・自然肥料を使い、伝統的な農法で生産されています。要は有機農業ってことだと思う)

日本でもネットショッピングで購入できますが、売り切れ続出。(^_^; 結構手に入れるのも大変なようです。

こうやって、多くの日本人が現地の人たちのためにがんばっている姿を見て元気をもらいました。カンボジアに入ってみると、あちこちに漢字があふれていて、中国や台湾などから多くの資本が流入しているのがわかります。(あちこち大規模開発の嵐が吹き荒れていて悲しかった) 日本も多くの支援をしています。現地の人も“支援慣れ”していると言われます。でも、本当に大切なのは“豊かな(?)”日本から“貧しい(?)”カンボジアへお金を恵むことではなく、カンボジアの人々が自らの足で立ち上がり、やりがいを感じながら自立できることだと思います。そういう意味で、前回紹介したマダム・ミチコさんにしても、倉田さんにしても、カンボジア人の自立する場所を作られているという点で、同じ日本人として誇らしく思いました。

IMG_3987.jpg
バッタンバン(土地が肥えていて農業が盛んな地方都市)のHORという、自動養護施設などを運営しているNGOのレストランにて。倉田さんに偶然お会いしました!!(奥で立っている人)(日本人スタッフの方が作る日本料理のランチでした)

IMG_4147.jpg
春ですね~。1週間いなかっただけで、白菜はすっかりトウ立ち、満開になっていて、畑の風景がすっかり変わっていました。小松菜や水菜やルッコラなどの花盛り~♪


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カンボジア>マダムサチコのアンコールクッキー
カンボジア・マダムサチコのアンコールクッキー

6日間カンボジアに行ってきました。

私にとって、旅の醍醐味は“人との出会い”です。マダムサチコさん=小島幸子さんには直接会ったわけではありませんが、話を聞いてとても感動しました。

サチコさんは26歳でアンコールワットのある町・シェムリアップで観光ガイドの仕事を始めます。そんな中、「観光客向きのお土産がない」ということに気づきます。大袋入りの駄菓子か、輸入雑貨ばかり。「これでは観光客が増えても、現地に外貨が落ちない。現地産の材料を仕入れ、現地スタッフを雇って、最高のお菓子を作れたら・・・」 折りしも、シェムリアップは空前の観光ブーム。当時30歳。迷いを抱えいったん帰国するが、翌年、起業を決意して再びカンボジアへ。「飛行機に乗ったときの全財産はクッキーの型一袋、包装デザインを入れたCD-ROM、資金5000USドルの3つだけ。不安もあったけど、それ以上に新しい挑戦に胸を膨らませていました」

手探りで準備を終え、2004年に起業。半年後、日本からのチャーター便の就航を機に、注文が飛躍的に増加。無借金で現在の規模まで育てあげた。「個包装で配りやすく、衛生的」とツアー客の心をつかんだ。

起業以来、「原材料は地元産、経営は日本流」を貫いてきた。粉や砂糖は、あえてざらつきの残る地元産を選び、手を加えて味を守る。また手の洗い方から接客術、衛生管理までを徹底指導。価値観の違いで苦しむこともあったが、現地スタッフに仕入れを任せるほどの信頼関係も築けた・・・(以上、“ウーマン・オブ・ザ・イヤー2008”のキャリアクリエイト部門で1位に輝いた時の紹介記事(「日経WOMAN」と思われる?)より抜粋)


2008年当時で年間1億5000万円を売り上げ、60人の現地スタッフを雇っていたそうです。今ではアンコール・クッキーをはじめ、パームシュガー(砂糖椰子から作った砂糖)、バナナチップやロータスティー(蓮茶)、レモングラスティー、ココナッツオイルなど、書ききれないくらい多くの商品を開発し、今ではそれらを日本でもネットショッピングで買うことができます。

すばらしいのはその考え方です。現地で生産されたものを使うことによって、農業も活性化します。直接雇うスタッフ60名(おそらく今では倍以上?もっと?<<私の個人的な推測です)に加えて、小麦や蓮やレモングラスやバナナやココナッツなどなどの農業生産者にもお金がまわります。さらに販売するお店などなど、経済効果は計り知れません。徹底的に“いいもの”を作るので、市場などにある商品に比べたらはるかに高級品です。それでもバンバン売れています。包装もおしゃれできれいです。ペラペラの東南アジアチックな安物のプラスチック袋ではなく、きれいなロゴマークの入った袋もお土産の数に合わせて入れてくれます。(環境オタク的に言わせると、過剰すぎる包装にはなって欲しくない(^_^;) 現地の人たちにきちんとお金が流れて、現地が潤っているところがすばらしいです。サチコさんは、今では経営をカンボジア人に任せておられるそうです。そういったところもすばらしい!!

過去にもいろいろありますが、特に1960年代以降、ベトナム戦争(カンボジアも巻き込まれた)を経て、ポルポトの大恐怖時代(約300万人が拷問され虐殺された<<300人じゃないのよ。300“万”人)、その後の内戦、地雷・・・と、カンボジアを思うとき、あまりに悲惨な時期が長く続きました。やっと平和が訪れ、現地の人に“働ける場”を提供したサチコさん・・・、すばらしいです。日本のテレビでもサチコさんの事業を紹介されたらしくて、兄もサチコさんのことを知っていました。(有名人!)帰国後知ったのですが、サチコさんは今では会社の経営を退いて、有機農業をされているみたいです。(^o^) Wow! 会いたかった・・・。


注:アンコールクッキーを真似た偽物が大量に出回っているので、現地に行く時は注意してくださいね。(まぁ、それもカンボジアらしい。(^o^;)


カンボジアに行ってきた<その0>
一年間(?)のごぶさたでした。
畑の規模を縮小したら、熊本地震が起きて・・・
思い返せば、大変だったけど、いい出会いもたくさんあった2016年・・・もすっかり終わって
早や一年。(^_^;

ぼちぼち“百姓”は続けておりまする。

突然ですが、3/15-21でカンボジアに行ってきました。
去年の4月に沖縄に行く予定だったのが、熊本地震直後で行けなくなって、去年も一昨年もどっこも行ってないので、えいや!っと行ってきました。
と言っても、ただ行って、ただ観光してお土産買って・・・というのはつまらないので、スタディーツアーに参加しました。
「カンボジアの生き字引!手束耕治氏が語る クメール仏教と心の復興」というやつ。

というわけで、旅で知ったこと、感じたことを思いつくまま、書いてみることにしました。

[383] 謹賀新年! 大事なお知らせ
<383号> 謹賀新年! 大事なお知らせ

あけましておめでとうございます。お天気のいい穏やかな年明けでした。どんなお正月を過ごされましたか? 今日(1/4)もめちゃくちゃ暖かくて最高気温は18℃。夏野菜のオクラやナスなどを片付けるのに集めていたら、暑くて暑くて汗をかきまくりました。(^_^; 暖かいと快適ですが、またこの暖かさで野菜たちに不具合が出るのではないかとちょっと心配。例年、冬の間は緑にとぼしく、茶色い景色が広がるのですが、今年は畑が既に草の緑で青々として、すっかり春の景色です。

日本は穏やかなお正月でしたが、アメリカやイギリスや南米ではあちこちで洪水や竜巻や大雪や嵐にブリザードなどの自然災害が起こっています。これ以上の気候変動をなんとか食い止めたいと思う年の始めです。

さて、大事なお知らせです。2004年3月に前職を辞めて、農業の修行を始め、2005年春から本格的に百姓(農業)生活をスタートして、早いもので11年が経過しようとしています。最初は畑の土ができていなくてガチガチで、そんな土でできる野菜は虫に食われてボロボロで、いろいろ大変だったりもしましたが、どんな時も温かく見守ってくださるお客様のお陰でここまで続けてくることができました。心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。

最初は「一人で百姓は無理」とさんざん言われましたが、がんばればなんとかできるという手ごたえを得ることもできました。農業では親がさんざん苦労して「百姓では渡世はできない」と言っていましたが、有機農業ならなんとか渡世できるという確信を得ることもできました。

しかしながら、この春で“農業”を辞めることにしました。理由は、まずは腰痛。年々つらくなってきて去年は4回もぎっくり腰をしてしまいました。おそらく若くもない中途半端な年齢で農業を始めたため、少し無理をしたのでしょう。次に、母のこと。以前は野菜の育て方を教え、鍬の使い方を教えてくれ、出荷の手伝いや草取りなどなどをやってくれていた母がここ数年で弱ってしまったため、その分の労力の減少。そして、家事の方も以前は母がやってくれていたのが、このところは何もできなくなってしまった分の家事の負担増。おまけに家が無駄に広いので屋敷の草取りだけでも大変で、草取りしてくれていた父も一昨年他界したため、今まで通り仕事をこなしながら、家事や屋敷の管理をやっていくのが難しくなってしまいました。母も年々弱って行く一方なので、病院への付き添いや家の仕事もろもろをもう少しまともにやってあげたいと思うのです。そういうわけで、今回の決断に至りました。これからは自家用の野菜を作りながら、もう少しまともに家事や介護(?)に取り組みたいと思います。畑の方は、一昨年神奈川から農業を志してやってきた甥に少しずつ受け渡していければと思います。一方、田んぼの方はこれからも今まで通り続けますので、お米はこれからもお分けできます。こちらの方は今まで通り、どうぞよろしくお願い致します。

今後の予定としては、春の端境期になったら配達を終了しようと思います。今年は暖冬のせいで、この先出荷できそうな野菜が品薄になっています。今のところ、配達終了は二月末を予定していますが、野菜の在庫次第では前後する可能性があります。どうぞよろしくお願い致します。今まで本当にありがとうございました。そして、もうしばしお付き合いくださいませ。m(._.)m




[382] 2015年 今年もお世話になりました。
<382号> 2015年 今年もお世話になりました。

ようやく師走らしい寒さが続き、まわりが慌しくなり、年の瀬を感じられるようになりました。

今年を振り返ると、災害の多い年でした。台風が久しぶりに熊本を直撃。自宅も納屋もそこそこ被害を被りましたが大事には至らず、保険で全部修理できてひと安心です。畑の作物への被害は甚大でしたが、ビニールハウスの倒壊とか、大事に至らなかったことが不幸中の幸いでした。

熊本だけではなく、全国的に異常気象による大雨や竜巻や各地の火山の噴火…。世界に目を向けると世界規模での異常気象、ISの台頭、シリア難民の問題、パリのテロなどなど…、今年を象徴する漢字は「安」でしたが、反対の印象が強く、「不安」とした方がしっくりくるような気がします。

仕事の方は、、、よかったことが思い浮かびません(^_^; み~んなダメダメだったような気がします。特に、台風15号で夏野菜がほぼ全滅してから後は、秋冬野菜はほとんど壊滅的で、百姓をはじめて10年経つというのに。我ながら本当に情けないです。

でもまぁ、大病することもなく、ぎっくり腰は4回やりましたが(^_^; 整骨院に通いつつ、だましだまし使ってなんとかもっているし、母も一時は生死の境をさまよい、一時は医者に「元に戻るのは無理」と言われたものの、元の生活に戻れたし、こうやって、ぼやきながらも無事に一年を過ごすことができたということが、何よりの“しあわせ”なのではないかなと思います。これも、お客様の支えあってこそです。今年も大変お世話になりました。ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。そして来年はもっと世界が平和になりますように。

みなさまのご家庭に笑顔の耐えない一年となりますように。どうぞよいお年をお迎えくださいね。


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人生はにゃんとかにゃる。
果報は寝て待て (ごま)

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Don’t worry. Be happy!!(ポコ)


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