2017/05
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カンボジア:倉田さんの胡椒
カンボジア:倉田さんの胡椒

今回は、倉田さんの胡椒のお話です。詳細は下に張り付けた倉田さん自身が書かれた文章を読んでいただければわかるのですが。(<<手抜き(^_^;) ポルポト~内戦時代にカンボジアの国土は荒れ果て、700年以上続く胡椒の産業も廃れていたのをなんとかして再興させようと、カンボジア中を歩き回ってやっと3株の胡椒の苗を見つけ、そこから胡椒農園を立ち上げ、最初は生産量22トンだったのが、多くの企業が生産するようになり、2015年春現在で8500トンに増えるなど、カンボジアの胡椒を生産量世界6位という一大産業に育てるきっかけを作った方です。(文章にするといろいろはしょってこのくらいですけど、これまでには多くの苦労をして来られたのでしょうね…)

クラタペッパーのホームページより

私がカンボジアに興味をもったきっかけは、1985年に映画『キリング・フィールド』(1984 Warner Bros.英) を観たことでした。その後1991年の湾岸戦争を機に、人的貢献を望みNGOに参加し、翌年に念願のカンボジアへ派遣されました。まさに「ここから国づくりが始まる」というタイミングでこの国と関わりをもてた事が、今日まで私をここに留まらせているのだと思います。

1970年代の内戦のため、インフラも産業も人材も何もかもを失ってしまったカンボジアの再建には、いろいろな分野からの支援が必要でした。一人の日本人として出来ることをいろいろ模索し悩みながら、1994年に農業の立て直しをしたいという想いいから、起業を決意しました。またちょうどその頃、内戦前にカンボジアを訪れていた祖父から、60年代の貿易資料を日本で譲り受けました。そこには当時のカンボジアの主力農産品の記載があり、その中のひとつに「胡椒」がありました。

カンボジアの胡椒は、60年代にはフランスをはじめとするヨーロッパで最高品質として有名でした。歴史も古く、13世紀の後半には、すでに中国にも紹介されています。しかし、70年代からの内戦により農園は壊滅され、人々の記憶から消されていきました。その「世界一美味しい胡椒」をもう一度復活させようと、以前の産地の農家を周り、調査を開始、そして「コッコン州スラエアンバル」で地元の人々と共に、胡椒農園を広げることにしました。

私が最もこだわったのは、安全で高品質な胡椒を生産すること。カンボジアに古くから伝わる伝統的な農法で栽培を続けてきたことによって、2011年1月にはカンボジアオーガニック農業協会より、カンボジアの産物の中では初めて「国内オーガニック認定」を取得しました。

世界一と誇れる胡椒を通じて、カンボジアの産業をこれからも育成し続けたい、そして世界中にカンボジアの良さをこれからももっと広めて行きたいと思っています。(http://www.kuratapepper.com/about.html)


引用おわり

この胡椒、とにかく風味が良くて、大人気なのだそうです。特に“完熟ペッパー”は一房に1粒か、多くて3粒しかない、真っ赤に完熟した実を集めたもので、果肉に甘みや旨みのあるものだそうです。それらの胡椒を一粒ひと粒、手作り・手作業で仕上げることで“付加価値”をつけているそうです。(ちなみに、倉田さんの胡椒は自然農薬・自然肥料を使い、伝統的な農法で生産されています。要は有機農業ってことだと思う)

日本でもネットショッピングで購入できますが、売り切れ続出。(^_^; 結構手に入れるのも大変なようです。

こうやって、多くの日本人が現地の人たちのためにがんばっている姿を見て元気をもらいました。カンボジアに入ってみると、あちこちに漢字があふれていて、中国や台湾などから多くの資本が流入しているのがわかります。(あちこち大規模開発の嵐が吹き荒れていて悲しかった) 日本も多くの支援をしています。現地の人も“支援慣れ”していると言われます。でも、本当に大切なのは“豊かな(?)”日本から“貧しい(?)”カンボジアへお金を恵むことではなく、カンボジアの人々が自らの足で立ち上がり、やりがいを感じながら自立できることだと思います。そういう意味で、前回紹介したマダム・ミチコさんにしても、倉田さんにしても、カンボジア人の自立する場所を作られているという点で、同じ日本人として誇らしく思いました。

IMG_3987.jpg
バッタンバン(土地が肥えていて農業が盛んな地方都市)のHORという、自動養護施設などを運営しているNGOのレストランにて。倉田さんに偶然お会いしました!!(奥で立っている人)(日本人スタッフの方が作る日本料理のランチでした)

IMG_4147.jpg
春ですね~。1週間いなかっただけで、白菜はすっかりトウ立ち、満開になっていて、畑の風景がすっかり変わっていました。小松菜や水菜やルッコラなどの花盛り~♪


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カンボジア>マダムサチコのアンコールクッキー
カンボジア・マダムサチコのアンコールクッキー

6日間カンボジアに行ってきました。

私にとって、旅の醍醐味は“人との出会い”です。マダムサチコさん=小島幸子さんには直接会ったわけではありませんが、話を聞いてとても感動しました。

サチコさんは26歳でアンコールワットのある町・シェムリアップで観光ガイドの仕事を始めます。そんな中、「観光客向きのお土産がない」ということに気づきます。大袋入りの駄菓子か、輸入雑貨ばかり。「これでは観光客が増えても、現地に外貨が落ちない。現地産の材料を仕入れ、現地スタッフを雇って、最高のお菓子を作れたら・・・」 折りしも、シェムリアップは空前の観光ブーム。当時30歳。迷いを抱えいったん帰国するが、翌年、起業を決意して再びカンボジアへ。「飛行機に乗ったときの全財産はクッキーの型一袋、包装デザインを入れたCD-ROM、資金5000USドルの3つだけ。不安もあったけど、それ以上に新しい挑戦に胸を膨らませていました」

手探りで準備を終え、2004年に起業。半年後、日本からのチャーター便の就航を機に、注文が飛躍的に増加。無借金で現在の規模まで育てあげた。「個包装で配りやすく、衛生的」とツアー客の心をつかんだ。

起業以来、「原材料は地元産、経営は日本流」を貫いてきた。粉や砂糖は、あえてざらつきの残る地元産を選び、手を加えて味を守る。また手の洗い方から接客術、衛生管理までを徹底指導。価値観の違いで苦しむこともあったが、現地スタッフに仕入れを任せるほどの信頼関係も築けた・・・(以上、“ウーマン・オブ・ザ・イヤー2008”のキャリアクリエイト部門で1位に輝いた時の紹介記事(「日経WOMAN」と思われる?)より抜粋)


2008年当時で年間1億5000万円を売り上げ、60人の現地スタッフを雇っていたそうです。今ではアンコール・クッキーをはじめ、パームシュガー(砂糖椰子から作った砂糖)、バナナチップやロータスティー(蓮茶)、レモングラスティー、ココナッツオイルなど、書ききれないくらい多くの商品を開発し、今ではそれらを日本でもネットショッピングで買うことができます。

すばらしいのはその考え方です。現地で生産されたものを使うことによって、農業も活性化します。直接雇うスタッフ60名(おそらく今では倍以上?もっと?<<私の個人的な推測です)に加えて、小麦や蓮やレモングラスやバナナやココナッツなどなどの農業生産者にもお金がまわります。さらに販売するお店などなど、経済効果は計り知れません。徹底的に“いいもの”を作るので、市場などにある商品に比べたらはるかに高級品です。それでもバンバン売れています。包装もおしゃれできれいです。ペラペラの東南アジアチックな安物のプラスチック袋ではなく、きれいなロゴマークの入った袋もお土産の数に合わせて入れてくれます。(環境オタク的に言わせると、過剰すぎる包装にはなって欲しくない(^_^;) 現地の人たちにきちんとお金が流れて、現地が潤っているところがすばらしいです。サチコさんは、今では経営をカンボジア人に任せておられるそうです。そういったところもすばらしい!!

過去にもいろいろありますが、特に1960年代以降、ベトナム戦争(カンボジアも巻き込まれた)を経て、ポルポトの大恐怖時代(約300万人が拷問され虐殺された<<300人じゃないのよ。300“万”人)、その後の内戦、地雷・・・と、カンボジアを思うとき、あまりに悲惨な時期が長く続きました。やっと平和が訪れ、現地の人に“働ける場”を提供したサチコさん・・・、すばらしいです。日本のテレビでもサチコさんの事業を紹介されたらしくて、兄もサチコさんのことを知っていました。(有名人!)帰国後知ったのですが、サチコさんは今では会社の経営を退いて、有機農業をされているみたいです。(^o^) Wow! 会いたかった・・・。


注:アンコールクッキーを真似た偽物が大量に出回っているので、現地に行く時は注意してくださいね。(まぁ、それもカンボジアらしい。(^o^;)


カンボジアに行ってきた<その0>
一年間(?)のごぶさたでした。
畑の規模を縮小したら、熊本地震が起きて・・・
思い返せば、大変だったけど、いい出会いもたくさんあった2016年・・・もすっかり終わって
早や一年。(^_^;

ぼちぼち“百姓”は続けておりまする。

突然ですが、3/15-21でカンボジアに行ってきました。
去年の4月に沖縄に行く予定だったのが、熊本地震直後で行けなくなって、去年も一昨年もどっこも行ってないので、えいや!っと行ってきました。
と言っても、ただ行って、ただ観光してお土産買って・・・というのはつまらないので、スタディーツアーに参加しました。
「カンボジアの生き字引!手束耕治氏が語る クメール仏教と心の復興」というやつ。

というわけで、旅で知ったこと、感じたことを思いつくまま、書いてみることにしました。

「安南王国」の夢
自分用のメモです。(^_^;
読む価値ありませんよ。










まだベトナムを引きずっていたりします。(^_^;

というか、
「『安南王国』の夢」という本が出版され(2012.2月)、
「ベトナムのフランス植民地からの独立を支援した、熊本県(天草)出身の日本人がいた」ということに興味を抱
いたはいいものの、定価2520円もする。(^_^;

こんなん、図書館にあるわけないよね~?
と思ったら、あ~るじゃありませんか。
偉い!>熊本市立図書館。(^_^;

がしかし、ページ数が500ページ弱と分厚く、内容も楽しく読める内容ではなく、いろんな人物が出てくるため、ややこしくて、
んでもって、
大抵、仕事して帰ってくると家ではほとんど何もできずに寝てしまうし、休みないし・・・という生活のため、なかなか読み進めず、2回も延滞を繰り返し、やっとこさ1ヶ月半かかって読みましたよ。

以下は、アマゾンより抜粋
明治45年1月、一人の少年が故郷・天草から船でベトナムへ旅立った。その6年前、ベトナム王朝末裔の青年が故郷を脱出し、日本へ密航する。二人はやがて一つの目的のため、海を挟んだ異国の地で起ち上がる。ベトナム独立という見果てぬ夢をめざして―。戦争と革命、夢と挫折―百年にわたる日越交流の秘史。

ベトナム最後の王朝、グエン王朝の末裔、クオン・デ侯。
グエン王朝のバオ・ダイ帝はフランスの傀儡政権として、フランスにいいように操られていて、
独立運動の志士(?)はクオン・デを担ぎ上げ、日本へ脱出させ、フランスを追い出してクオン・デを王として民主主義国家を夢見る・・・。

それを支援した日本人たち。

日本の近代史って、学校では時間がなくなってほとんど習わないでしょ。(^_^;
だから、明治維新くらいまではナントナク記憶があるけど、それ以降ってよく知らない(<こらこら)のだけど、太平洋戦争周辺の日本の事情なんかもいろいろ書いてあって、勉強になりました。

犬養毅たちもクオン・デ侯を支援して匿ったりしてたというから、ちょっと驚き。

白人の植民地支配からのアジアの解放を謳って南方(東南アジア)に進出した日本軍。
今では、侵略戦争の悪名高い行為ととられてますけども、(少なくとも私はそう理解していました)

当時はイギリスやらフランスやらオランダやらが好き放題にインドや東南アジアを支配して植民地にして搾取してやりたい放題やってたんですなぁ・・・。

ベトナムはフランスに搾取されまくって、反抗する人はひどい仕打ちにあって・・・っていう時代。

純粋に、「白人社会からのアジアの解放」を夢見て、戦争に突き進んでいった人もいたみたい。

この本では日本軍のことをあまり悪く書いてない。
この本の登場人物は、割と「いい人」っぽい。

もちろん、「アジアの解放」と言いながら、日本のいいなりにしようと思っていた奴らもいただろうけどね。

でもこの本を読む限りでは、日本の軍国主義を非難するのなら、
それ以上に、かつて植民地支配していた国は非難されるべきだと思う。

ベトナム共和国(南ベトナム)の初代大統領のゴ・ディン・ジェムも、クオン・デを慕っていた人物の一人で、
彼は純粋にベトナムの民主主義国家としての独立を夢見ていたんだけども、
アメリカに担ぎ出されて大統領になって、独裁政治をしいたことで悪名高いようだけど、
アメリカの言うことに従わなかったので暗殺されたんじゃないか?というような憶測もあり、さもありなん・・・と。
「悪名」の部分は、暗殺された後にアメリカ(?)によって、いいように言いふらされた感あり。

一方、独立の夢を持つベトナム人にとってクオン・デ侯は独立のシンボルだったのだけど、
ベトナム戦争が終わって、共産党が支配したベトナムでは、「クオン・デは日本に渡ってベトナムを捨てた裏切り者」という宣伝をされ、今ではその名前を知る人は少ないと言う・・・。


「歴史」は「作られる」のだね。
時の支配者にとって、都合がいいように。

お勉強になりました。

ベトナムでわからずに思考停止になっていた自分への回答を得られたような気がしました。


天草出身で一代で大南公司という会社を立ち上げ、東南アジア各国に支店を持ち、ベトナムと日本の橋渡しをした松下光廣氏は、純粋にベトナムのフランスからの独立を支援していたんだと思う。

クオン・デ侯も、純粋だったのだと思う。

この本の内容は著者(牧久氏)の目を通して描いてあるものだから、
それがそのまま歴史的事実に合致しているかどうかはわからないのだけれども、
でも、少なくとも、純粋に、ベトナムのフランスからの独立を支援していた日本人たちが何人もいたことに救われた思いがする。

今のベトナムを見て、松下氏やクオン・デ侯はどう思っているんだろうなぁ~?


んで、全然本題とは関係ないんだけど、

ベトナム戦争中に、日本からの補償ということで、ベトナムにダムを造ったりしてるんだよね。
ベトコンに攻撃されたりしながら。
「日本工営」という会社名があちこちに出てきたりする。(^_^;
そういうのに、松下氏も絡んでいたりして。

昔は電力供給は大事なことだったんだろうけどね。
それが今のODA問題につながって、結局、日本の会社と政治家が儲かる構図につながっていたりするわけね。
もちろん、本の中ではダム建設については好意的に書いてありまする。(^_^;


幼稚な読書感想文ですが(^_^;
お勉強になりました。





敗戦記念日
8/15は「終戦記念日」とか言ってるけども、
実際は「敗戦記念日」ではないか。

そんな日に、ベトナムシリーズを終わらせるのもいいかな、と思って、そうすることにした。
(たまたまだよ。あんまし深く考えてないもの)

「サイゴンから来た妻と娘」と「ベトナム戦記」を読んで、
そのあとさらに「サイゴンのいちばん長い日」(近藤紘一)を読んだ。

「サイゴンのいちばん長い日」には、ベトナム戦争が終結する1975年4月30日の前後を、4月15日からその日起こったことや、前のエピソードなどを交えて、時にはユーモアを交えて、時には降りかかる身の危険を描写しながら、日記風にまとめてある。

ベトナムから帰って、早半年近くが経過する今となっては、あの時のショックも随分薄らいでしまったけれども、日常に流されて、あの時の疑問にうまく答えきれてないと思うのだけれども、私なりにいろいろ考えたからいいことにしよう。

結論:「戦争は悲惨だ」
以上に尽きる。

ごめんなさい。あまりに単純で簡単ですが。(^_^;
でも、今回は本当に、身につまされてわかった気がする。


ベトナムでググっていて、韓国軍がベトナムでものすごく残虐な大量殺戮をしていたことを知った。
iPhoneの旅への携帯は、便利だけども、ある意味残酷です。
知らないことまで知っちゃえる。





http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20120317/1331954858

そして、米軍の有名なソンミ事件。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%9F%E6%9D%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

韓国軍がベトナムで虐殺したのは10万人とも30万人とも言われる。
中には妊婦や幼児や子供も含まれる。
女性は残忍にレイプされてから殺されたと言う。
(虐殺はかえって米国や韓国に対する反感を抱かせ、ベトコンに流れる民間人が後を断たなかった)

だからといって、韓国を批判してどうなる?
竹島の問題でこのところ緊張が高まってるけど、
そんなことを争ってどうする?
過去のことをほじくりだしても意味がない。
大事なのは現在であり、未来だ。

「戦争」は、人を狂気に陥れる ということだ。

日本軍も、米軍も、韓国軍も、戦争で狂った。



ちょうどベトナムから帰ってきた頃、NHKの連続テレビ小説「カーネーション」で、
カンスケのお母ちゃんが言ってた。
戦争に行って心を病んで帰ってきたカンスケ。
生きたまま、亡骸みたいになっていたカンスケ。
結局、心を病んだまま、再度徴兵されて帰ってこなかった。

「私はカンスケがやられたと思ってたんだよ。でも違った。あれは“やった”んだね」

(残虐行為を)やった人も、カンスケみたいに心を病んで自分を苦しめてしまう。

それが戦争。


糾弾されるべきは、戦争そのものだ。



本当に、人生むごたらしくて、情け容赦なくて、なんでこんなに無情なんだろう?と思うけれども、

お天道様は、やっぱり見ててくれるんだと、思うんだよね。

おごり高ぶっている人のことも、
がんばっている人のことも。

お天道様に顔向けできるように、生きていこう。


(ナンノコッチャわからん結論に導いてごめんなさい。私の脳みそなんて所詮この程度です)


さて、宿題おわり。

やっと先に進める。(^^)



21歳の頃、はじめて行ったアメリカで、
「天皇ヒロヒトの戦争責任をどう考えてる?」
って聞かれて、そんなことを考えたこともなかった私は何も答えられなかったけど、
あのおじさんに
「アメリカのベトナム戦争に対する責任は?」って、訊いてみたい。

・・・って、過去をほじくってもしょうがないって、さっき書いたばかりじゃんか。




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