2017/03
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「安南王国」の夢
自分用のメモです。(^_^;
読む価値ありませんよ。










まだベトナムを引きずっていたりします。(^_^;

というか、
「『安南王国』の夢」という本が出版され(2012.2月)、
「ベトナムのフランス植民地からの独立を支援した、熊本県(天草)出身の日本人がいた」ということに興味を抱
いたはいいものの、定価2520円もする。(^_^;

こんなん、図書館にあるわけないよね~?
と思ったら、あ~るじゃありませんか。
偉い!>熊本市立図書館。(^_^;

がしかし、ページ数が500ページ弱と分厚く、内容も楽しく読める内容ではなく、いろんな人物が出てくるため、ややこしくて、
んでもって、
大抵、仕事して帰ってくると家ではほとんど何もできずに寝てしまうし、休みないし・・・という生活のため、なかなか読み進めず、2回も延滞を繰り返し、やっとこさ1ヶ月半かかって読みましたよ。

以下は、アマゾンより抜粋
明治45年1月、一人の少年が故郷・天草から船でベトナムへ旅立った。その6年前、ベトナム王朝末裔の青年が故郷を脱出し、日本へ密航する。二人はやがて一つの目的のため、海を挟んだ異国の地で起ち上がる。ベトナム独立という見果てぬ夢をめざして―。戦争と革命、夢と挫折―百年にわたる日越交流の秘史。

ベトナム最後の王朝、グエン王朝の末裔、クオン・デ侯。
グエン王朝のバオ・ダイ帝はフランスの傀儡政権として、フランスにいいように操られていて、
独立運動の志士(?)はクオン・デを担ぎ上げ、日本へ脱出させ、フランスを追い出してクオン・デを王として民主主義国家を夢見る・・・。

それを支援した日本人たち。

日本の近代史って、学校では時間がなくなってほとんど習わないでしょ。(^_^;
だから、明治維新くらいまではナントナク記憶があるけど、それ以降ってよく知らない(<こらこら)のだけど、太平洋戦争周辺の日本の事情なんかもいろいろ書いてあって、勉強になりました。

犬養毅たちもクオン・デ侯を支援して匿ったりしてたというから、ちょっと驚き。

白人の植民地支配からのアジアの解放を謳って南方(東南アジア)に進出した日本軍。
今では、侵略戦争の悪名高い行為ととられてますけども、(少なくとも私はそう理解していました)

当時はイギリスやらフランスやらオランダやらが好き放題にインドや東南アジアを支配して植民地にして搾取してやりたい放題やってたんですなぁ・・・。

ベトナムはフランスに搾取されまくって、反抗する人はひどい仕打ちにあって・・・っていう時代。

純粋に、「白人社会からのアジアの解放」を夢見て、戦争に突き進んでいった人もいたみたい。

この本では日本軍のことをあまり悪く書いてない。
この本の登場人物は、割と「いい人」っぽい。

もちろん、「アジアの解放」と言いながら、日本のいいなりにしようと思っていた奴らもいただろうけどね。

でもこの本を読む限りでは、日本の軍国主義を非難するのなら、
それ以上に、かつて植民地支配していた国は非難されるべきだと思う。

ベトナム共和国(南ベトナム)の初代大統領のゴ・ディン・ジェムも、クオン・デを慕っていた人物の一人で、
彼は純粋にベトナムの民主主義国家としての独立を夢見ていたんだけども、
アメリカに担ぎ出されて大統領になって、独裁政治をしいたことで悪名高いようだけど、
アメリカの言うことに従わなかったので暗殺されたんじゃないか?というような憶測もあり、さもありなん・・・と。
「悪名」の部分は、暗殺された後にアメリカ(?)によって、いいように言いふらされた感あり。

一方、独立の夢を持つベトナム人にとってクオン・デ侯は独立のシンボルだったのだけど、
ベトナム戦争が終わって、共産党が支配したベトナムでは、「クオン・デは日本に渡ってベトナムを捨てた裏切り者」という宣伝をされ、今ではその名前を知る人は少ないと言う・・・。


「歴史」は「作られる」のだね。
時の支配者にとって、都合がいいように。

お勉強になりました。

ベトナムでわからずに思考停止になっていた自分への回答を得られたような気がしました。


天草出身で一代で大南公司という会社を立ち上げ、東南アジア各国に支店を持ち、ベトナムと日本の橋渡しをした松下光廣氏は、純粋にベトナムのフランスからの独立を支援していたんだと思う。

クオン・デ侯も、純粋だったのだと思う。

この本の内容は著者(牧久氏)の目を通して描いてあるものだから、
それがそのまま歴史的事実に合致しているかどうかはわからないのだけれども、
でも、少なくとも、純粋に、ベトナムのフランスからの独立を支援していた日本人たちが何人もいたことに救われた思いがする。

今のベトナムを見て、松下氏やクオン・デ侯はどう思っているんだろうなぁ~?


んで、全然本題とは関係ないんだけど、

ベトナム戦争中に、日本からの補償ということで、ベトナムにダムを造ったりしてるんだよね。
ベトコンに攻撃されたりしながら。
「日本工営」という会社名があちこちに出てきたりする。(^_^;
そういうのに、松下氏も絡んでいたりして。

昔は電力供給は大事なことだったんだろうけどね。
それが今のODA問題につながって、結局、日本の会社と政治家が儲かる構図につながっていたりするわけね。
もちろん、本の中ではダム建設については好意的に書いてありまする。(^_^;


幼稚な読書感想文ですが(^_^;
お勉強になりました。





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敗戦記念日
8/15は「終戦記念日」とか言ってるけども、
実際は「敗戦記念日」ではないか。

そんな日に、ベトナムシリーズを終わらせるのもいいかな、と思って、そうすることにした。
(たまたまだよ。あんまし深く考えてないもの)

「サイゴンから来た妻と娘」と「ベトナム戦記」を読んで、
そのあとさらに「サイゴンのいちばん長い日」(近藤紘一)を読んだ。

「サイゴンのいちばん長い日」には、ベトナム戦争が終結する1975年4月30日の前後を、4月15日からその日起こったことや、前のエピソードなどを交えて、時にはユーモアを交えて、時には降りかかる身の危険を描写しながら、日記風にまとめてある。

ベトナムから帰って、早半年近くが経過する今となっては、あの時のショックも随分薄らいでしまったけれども、日常に流されて、あの時の疑問にうまく答えきれてないと思うのだけれども、私なりにいろいろ考えたからいいことにしよう。

結論:「戦争は悲惨だ」
以上に尽きる。

ごめんなさい。あまりに単純で簡単ですが。(^_^;
でも、今回は本当に、身につまされてわかった気がする。


ベトナムでググっていて、韓国軍がベトナムでものすごく残虐な大量殺戮をしていたことを知った。
iPhoneの旅への携帯は、便利だけども、ある意味残酷です。
知らないことまで知っちゃえる。





http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20120317/1331954858

そして、米軍の有名なソンミ事件。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%9F%E6%9D%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

韓国軍がベトナムで虐殺したのは10万人とも30万人とも言われる。
中には妊婦や幼児や子供も含まれる。
女性は残忍にレイプされてから殺されたと言う。
(虐殺はかえって米国や韓国に対する反感を抱かせ、ベトコンに流れる民間人が後を断たなかった)

だからといって、韓国を批判してどうなる?
竹島の問題でこのところ緊張が高まってるけど、
そんなことを争ってどうする?
過去のことをほじくりだしても意味がない。
大事なのは現在であり、未来だ。

「戦争」は、人を狂気に陥れる ということだ。

日本軍も、米軍も、韓国軍も、戦争で狂った。



ちょうどベトナムから帰ってきた頃、NHKの連続テレビ小説「カーネーション」で、
カンスケのお母ちゃんが言ってた。
戦争に行って心を病んで帰ってきたカンスケ。
生きたまま、亡骸みたいになっていたカンスケ。
結局、心を病んだまま、再度徴兵されて帰ってこなかった。

「私はカンスケがやられたと思ってたんだよ。でも違った。あれは“やった”んだね」

(残虐行為を)やった人も、カンスケみたいに心を病んで自分を苦しめてしまう。

それが戦争。


糾弾されるべきは、戦争そのものだ。



本当に、人生むごたらしくて、情け容赦なくて、なんでこんなに無情なんだろう?と思うけれども、

お天道様は、やっぱり見ててくれるんだと、思うんだよね。

おごり高ぶっている人のことも、
がんばっている人のことも。

お天道様に顔向けできるように、生きていこう。


(ナンノコッチャわからん結論に導いてごめんなさい。私の脳みそなんて所詮この程度です)


さて、宿題おわり。

やっと先に進める。(^^)



21歳の頃、はじめて行ったアメリカで、
「天皇ヒロヒトの戦争責任をどう考えてる?」
って聞かれて、そんなことを考えたこともなかった私は何も答えられなかったけど、
あのおじさんに
「アメリカのベトナム戦争に対する責任は?」って、訊いてみたい。

・・・って、過去をほじくってもしょうがないって、さっき書いたばかりじゃんか。




ベトナムから帰って(ベトナム戦記)
これは4/14に書いていたもの。

*******************************

ベトナムに行って、3日目だったか4日目だったか、開高健についてググったら、なんと誕生日が私と同じであった。
開高健が「ベトナム戦記」を書いていたことすらも知らなかったし、
ましてや、マジェスティックを宿にしていたことなんか知る由もない。

たまたま泊まったマジェスティックの部屋で、その昔、開高健が滞在し、「週刊朝日」の原稿を書いていた。
(それがまとまって「ベトナム戦記」になった)

そこまでだったら、あまり開高健に興味を持たなかったかもしれなかったけれども、誕生日まで同じとは。
奇妙な縁を感じて、「ベトナム戦記」を読もうと思った。

以下、印象に残った部分を書き出してみた。

「この国は貧しい。おそろしく貧しい。女も男も貧しい。市民も農民も貧しい。サイゴンも一歩裏通りへ入ったら電気が買えないので豆ランプやロウソクをともしている。娘たちは豚小屋のようなどぶとニョク・マムの悪臭のたちこめた家のなかで綿屑に手足をつけたような兄弟たちとおしあいへしあいザコ寝をしている。農村へいくとさらにこれがすさまじいことになってくる」

「空にまでとけこむ水田の巨大な豊穣さと土にとけこむ貧しさのこの対照は異様なものである。何者かによる搾取のすさまじさをつくづく感じさせられた」

「この国の土と水はよほど多産なのである。戦争さえなければほんとにいい国なのである。戦争と搾取さえなければいい国になれる国なのである」

「この荒野は異様なことになっていた。ジャングルが真っ赤に枯れているのである。街道に沿って左右何キロかのジャングルがことごとく枯れ、木は倒れたり、折れたりして槌にとけかえていた。たっている幹でも枝の葉はことごとく枯れて赤くなっていた」

「・・・砲兵隊、大砲射ツ。105。155。ジャングルト村。朝カラ夜、射ツ。イツデモ射ツヨ。VC(ベトコン)死ヌ。百姓イッショニ死ヌ。VCデナイ百姓死ヌヨ。イッショニ死ヌネ。生キル百姓VCニナルヨ。砲兵隊、一生懸命敵ヲ製造。秘密。言ワナイデ。オ前日本ニ帰ル。オ前新聞ニ書ク。ホントヲ書ク。秘密ネ」

「彼は私とお茶やビールを飲むたびにこの戦争の使命を説いて聞かせた。ここでベトナムがコミュニストの手におちるとタイ、マレー、ラオス、カンボジャなど、東南アジアが一挙に陥落する。」

「こういう砲撃は生き残った農民をベトコンに走らせるだけであり、政府は必死になって敵を製造しているのだと告白したが、まったくそのとおりだろうと想像する」

「ベトコンが公式的な要求として綱領や宣言や総括のなかでうちだしていたことは、ベトナム国内からの外国勢力の撤退、貧農の解放、いかなる外国のヒモもつかない連合政権の樹立であった」

「けれど、もしベトナムを舞台にして、最前線のアメリカ人を主人公にして私が小説を書こうとすると、題は、“気の毒なアメリカ人”ということになるだろう。アジアを理解できないワシントンと、それをつきあげる将軍連中の作戦計画、砦やジャングルで“イエス・サー”といって死んでゆくアメリカ兵、このあいだには透明で深い溝があると私は思う」

「アメリカは負けるが勝ちという知恵を身につけるには若すぎるのであろうか。負けたことがなく、異民族に踏みにじられたことがなく、戦争があるたびに豊かになった。何一つとして戦争を知らないアメリカは、誇りと偏見のために、ベトナム農民が建国当時のアメリカ人と同根の情熱にかりたてられてアメリカに反逆しているのだというところまで洞察できないのであろうか?・・・・・」



近藤紘一氏の「サイゴンから来た妻と娘」を読んだ印象では、ベトナムの農民は豊かだという印象を持った。
しかしながら、開高氏は「おそろしく貧しい」と言う。
土地は豊かであるけれども、他者から搾取されることで貧困に陥っているという。

ベトナム戦争の背景には、中国における1000年の支配とフランスにおける80年の支配が深く根ざしている。
ベトナムの人たちは外国人による支配にうんざりしていた。独立を求めていた。

日本は周りを海に囲まれて、他国と国境を接していない国なので、
第二次世界大戦で米国に占領された以外は他国の侵略を受けたことがない。
日本人である私は、日本人らしく(?)脳天気だった。
ベトナム人の、長年にわたる他国からの支配を受け、抑圧されていたことに考えが及ばなかった。
それが、(自分の無知に対する)カルチャーショックでもあった。

ベトナムにいた間、常につきまとっていた疑問は「共産主義って何?」ということだった。
学校で習った共産主義は、「私有財産を持たずに給料は国から支給されるもの」というような認識でしかなかった。

ベトナム人は、何故ベトナム戦争をしたのかがわからなかった。

アメリカは「ベトナムがコミュニストの手におちるとタイ、マレー、ラオス、カンボジャなど、東南アジアが一挙に陥落する」から戦争をしたのでしょうが。

背景にはソ連との冷戦とか、いろいろあるのでしょう。
よくわかんないけど。


ベトナム戦争が共産主義vs資本主義 の闘いであったのか?
と思っていたが、ベトナム戦記を読んでそうではないことがわかった。

ベトコンの中でコミュニズム(共産主義)の人は少なく見積もると1~2%、多く見積もっても30%。
アメリカが砲撃を加えれば加えるほど、被害が出て、外国人に対する反抗精神が芽生え、農民はベトコンに流れる。政府軍の兵隊として戦っていても、途中で逃げてベトコンになる。

ベトコンは、外国勢力からの独立、ベトナムの、ベトナム人による、ベトナムのための国家を求める人々であった。それに対し、士気の上がらない政府軍(ベトナム人)と米軍では、精神面で最初から結果は見えていた。

開高氏がベトナム戦記を出したのが1965年。
この時点で、彼はアメリカに先がないことを見抜いていた。
ベトナム戦争が終結したのはそれから10年も経過した1975年。
もっと早く戦争を終える勇気があったら、悲惨な人生を送らずに済んだ人がたくさんいただろうに。

ベトナムに送られたアメリカ人たちも惨めだ。
どこに潜んでいるかわからないベトコン。
連日連夜続く攻撃。
枯葉剤をまき、自らもその被害(後遺症尾)に苦しむ。
戦争はいやだと思いながら、命令に従わざるを得ない。
1年の兵役の終わりを指折り数えて待つ日々。

やっぱり、戦争は悲惨だ。

罪もない人々が何故苦しめられなければならないのか?

世の中は無常だ・・・・という結論にしかたどり着かないのか。

むむ~。なんか、いやだ。





「サイゴンから来た妻と娘」
ぐちゃぐちゃの頭を整理しようと思って、
ベトナム関係の本を読んだ。

まずは「サイゴンから来た妻と娘」

近藤さんの文章、すきだな。
会ったことないからわからないけど、ご本人の性格がにじみ出るような、あったかい文章。

ボートピープルの船が日本にきて、そこに奥さんと一緒に行かれた時の記述もあった。
それを読んではじめて、ボートピープルでベトナムから逃れてきた人たちは、ある程度の知識階級が多く、南ベトナムで相応の地位にいた人が多いということを知った。
「ベトナムの貧しい人たちが逃げてきた」という、私の認識とは大違い。
おんぼろ船にすし詰めになりながら、命からがら逃げてきた人たち。
戦後の大混乱。
家族との別離。
「戦争」って、そういうことなんだ。

そして、事情を汲むことのできない日本という国。


以下、印象に残った部分の抜粋。

感想文でも書こうかなと思ったけど、時間がたちすぎてて無理。(^_^;
これは3/31にメモしていたもの。

***********************************************

「サイゴンから来た妻と娘」(近藤紘一)

もともと瑞穂の国なのだ。とくにサイゴン以南のメコン・デルタ地方は世界有数の穀倉地帯とされている。戦争が終わり、デルタ全域を有効に活用できるようになれば、二毛作、三毛作で年間一億人分のコメがとれるはず、と試算されていた。いま、ベトナムの総人口は五千万人ほどだから、この地域だけで全国民を養ってまだ一年分近いおつりがくることになる。

水と気候に恵まれているから、農民の仕事ぶりものんびりしている。水牛にスキを引かせ、田植えさえすれば、あとは稲の方が勝手に実ってくれる。

途方もない自然の富に恵まれてしまったこの国の人々

馬鹿らしいほどのメコン・デルタの豊かさ

あれだけの量の爆弾をたたき込みながら、米国が敗れた理由の一つはやはり、この国の自然の底知れぬ生命力、復元力を正確に計算に入れていなかったからではないか、と思う。

167 しかし、考えてみると、実際にこの国の歴史の過酷さは、島国の温室に育った私たちの想像を絶したものだった。

167 何世紀にもわたって反覆された中国軍の侵略と支配、十三世紀の蒙古軍の来襲、近代以降は仏植民地支配、日本軍の進駐、そして今次の戦争---。直接外国軍の圧力がないときは、国内が分裂して内乱が相ついだ。

230 日本の世論はベトナム戦争中、熱烈に他国の解放闘争を支持し、その反面、武器の部品やモーターバイクや電気製品をしこたま輸出して得た繁栄を直接間接に享楽することに、何ら疑問を感じなかった。おまけに戦争が終わればすべてを米国と旧政権の腐敗ぶりに押しつけ、「私たちは単一国家ですから他人のことは知りません」では、諸外国もあきれて物が言えぬだろう。

230 私たち一人一人の、無意識の心の貧しさを、私はときおり空おそろしく思う。

ベトナムに行ってきた。その19
2月27日(月)帰国

長かったような、短かったようなベトナム旅行も今日で終わり。

バインミー(ベトナム風サンドイッチ)をどうしても最後に食べたくて、昨晩あちこち歩き回って探したけど見当たらなかった。
サンドイッチは大体朝食べるから、夜には見つからないのが当たり前なのだけど、食べたかったのだもの。

ホテルで「サンドイッチ、どこかで買えるかなぁ~?」ってきいたら、
「朝食に用意してあげましょうか?」って言ってくれたので、
お願いしておいた。


はい、どうぞ。

022701

ウェイトレスさんが置いていったソレは、私が食べたかったバインミーではなかった。(;_;)
食パンではなく、バゲットに挟んだやつが食べたかったの~。

ま、しゃーないわな。

パンにバターを塗って、ベーコンをはさんで、ヌクマムをかけて食べる。
まぁまぁ、うまい。
ヌクマム最高!

あれ?
いつもついてくる豪華なフルーツがないんだけど???


そんなこんなで最後の朝食を終えてチェックアウト。

フロントで支払ったドルが古すぎて使えない・・・とフロントのおねえちゃんが言う。
そないなこと言うたって、それしかないんだからしゃぁないやん・・・
「カードを貸して」とかなんとか言われたけども、
そこに正義のヒーロー(?)、アメリカ人登場。

フロントの姉ちゃん「これ(ドル)、使える?」
アメリカ人の兄ちゃん「問題ないよ」
「じゃぁ、交換して」
「はいよ」
ってな具合で無事交換終了~。

アメリカ人の兄ちゃんは「『銀行』って書いた札を首からさげとこか?」などとジョークを飛ばして去っていった。

まぁな、2000年にアメリカ行った時の残りのドルだからね。
「古くて使えない」と言われても仕方がないよね・・・。

外に出たらベルボーイが「タクシー呼ぼか?」とうるさい。
「いいから」と言ってもしつこい。

「バイクタクシーで行くからいい」
と言ったつもりだったら、
ホテルの目の前のバイクタクシーを呼び止めやがった。(-"-;

あーん、ホテルのバイクタクシーじゃなくて、街角で屯しているバイクタクシーを拾おうと思ったのに。
だって、ホテルのバイクタクシーは、自分のシマを持ってるからそれなりに稼げてるわけじゃん。
それよりも、シマを持ってないバイクタクシーを拾いたかったのに。

でも、バイクタクシーのおっちゃん、その気になってるし。
気の弱い日本人。
言われた通りにバイクタクシーにまたがる。

「これでいい?」って、お金を見せて「OK」で交渉成立。
相場はAさんたちに事前に聞いておいたからボラれる心配もない。

国民百貨店で買ったマスクをかけて、ヘルメットをかぶって準備OK。
朝のホーチミンの街をバイクで走る。
空港まで20分くらい。
快適なツーリング(?)でした。
やっぱ、タクシーじゃなくてバイクタクシーの方が正解だよ。

最後だし、「何かあった時のために」と、少しだけ残しておいたドンをバイクタクシーのおっちゃんに渡して「カムオン(ありがとう)」と言ってかっこよく別れた。

でもどっちに行けばわからなかったりする。(^_^;

無事に国際線について、チェックインをしようとカウンターに並んでいたら、後ろで日本語で話しているイスラム系のおっちゃん3人。なんで日本語で話してるんだろ? 「飴の中に虫が入っていた」とかなんとかくだらんことをしゃべってる。
私:「Where aye you from?」
なんで、こんな時に英語しゃべるんだろ?
ちゃんと日本語しゃべってるやん・・・。

どっかとどっかと、どっかの国(中東)出身の3人で、日本で仕事している人たちであった。
こういう時って、日本語モードに切り替えるのに時間がかかるのはなぜだろう?

そんなこんなで無事搭乗。



022702
雨の台北。
たしか13℃くらいだったかな。
半袖にペラペラのジャケットしか持ってなかったので寒かったよ~。
(冬服はみんな福岡空港に置いてきた)

台北まで来るとほとんど日本。
周りには日本人しかいない。

「お疲れ様で~す」って。
“日本文化”丸出し。
ちょっとシラける。
なんか、大きな会議が台北であったらしい。

前に台北に寄った時は、フィリピンの帰りだった。
あの時は、日本人のケバケバおばさんが買い物しまくってた。
はずかしくなって、日本人じゃないフリしてた。(ばればれ)


台北では、またもや搭乗口が変わってた。
「またか」って感じで慌てない、慌てない。
もう、慣れたもんですよ~だ。

というわけで、無事に福岡に到着。



と、旅路はこうだったのだけどね、
頭の中は結構大変でした。
カルチャーショックというか、なんというか。
自分の無知を再認識する旅でした。

ベトナムに行って、
ベトナム戦争という傷跡に触れて、
なんで戦争をするんだろう?とか
自由主義とか、共産主義とか、
他国からの侵略とか、
ボートピープルとか・・・

考えても仕方がないことで頭がいっぱいになって
かなりへこんでた。

目の前にある新幹線が、現実ではない幻のようで、
「あー、帰ってきてしまったんだ」って、
帰ってきちゃいけないような気がしてた。

ほんの少ししか日本を離れてなかったはずなのに、長いこと離れていた気がしていた。
同時に、ベトナムで起きたことが夢だったようにも思える。

重たかった。

向こうではiPhoneが使えるもんだから、
今までの旅では調べようのないことでも、ネットを使えばすぐにわかる。

中国やフランスなど、いろんな国に虐げられてきたベトナム。
虐げられつつ、北部から南部に進行して国を広げたベトナム。
少数民族もたくさんいる。
カンボジアへの侵攻。
やったりやられたり。

単一民族の国・日本に安穏と暮らしてきた自分にはわからなかった。

ボートピープルの意味さえも、
「ベトナムの貧しい人たちがボートで逃げ出してきた」くらいの感覚でしかなかった。

ショックだった。
ショックだった。
ショックだった。

ベトナム戦争時、
米軍もだろうけど、韓国軍も悪事の限りを尽くしてる。
それを韓国は今でも認めていない。

虐殺、強姦・・・
日本軍の従軍慰安婦問題もひどいけど、
同じくらいか、あるいはもっとひどいことを韓国軍もやってるじゃないか。
日本は一応、非を認めてる。
だけど、韓国は認めてない。
韓国の方がひどいじゃないか。

枯葉剤も、アメリカは非を認めていない。

苦しんでいる人は、皆、弱い貧しい人たちで、
謝るべき立場の人たちは、遠いところでふんぞり返ってる。

それが許せない。

ベンタイン市場で物乞いしていたおばあちゃんも、
枯葉剤の影響か、足があらぬ方向に曲がってしまって、手で足を動かしながら動き回って本を売っていた人も
教会の前で皮膚ボロボロになりながら、物乞いしていたおじさんも、

みんなみんな被害者じゃんか。

みんな、一生懸命生きてて、
それなのに、貧しくて、苦しくて、

なんで共産主義がいいの?

なんで戦争なんかするの?

なんで韓国やアメリカは非を認めないの?

なんでなんでなんで?

頭の中がぐちゃぐちゃだった。

帰国時はそんなブルーな気分だった。



なんだかんだで、猫が待つ我が家に24:00頃到着しました。
ごま、ただいま。
長いこと、一人ぼっちにさせてごめんね。



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Author:りずむ☆
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