2017/10
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[304] 春ですよ/ベトナムのはなし
<304号> 春ですよ/ベトナムのはなし

日差しがすっかり“春”になりました。立春前後にしばらく暖かい日が続いたので、野菜たちは「春が来た!」と思って、早速チンゲン菜やカブがトウ立ちを始めました。あぁ~、毎年恒例の「嘆きの端境期」の季節でございます。(^_^; 12月に左手を骨折してしまったせいで、植え付けが遅れたりしているので、今年はさらにちょっと怖い・・・。(^_^; 「野菜がありません。ごめんなさい」の嵐が吹き荒れる予報が出ていますので、みなさんご注意を~!

さて、302号の続きです。去年のベトナムの旅から帰ってきた私。ベトナム関係の本を読みあさりました。

近藤紘一曰く「途方もない自然の富に恵まれてしまったこの国の人々」「馬鹿らしいほどのメコン・デルタの豊かさ」(「サイゴンから来た妻と娘」より)

一方、開高健に言わせると「この国は貧しい。おそろしく貧しい。女も男も貧しい。市民も農民も貧しい。サイゴンも一歩裏通りへ入ったら電気が買えないので豆ランプやロウソクをともしている。娘たちは豚小屋のようなどぶとニョク・マムの悪臭のたちこめた家のなかで綿屑に手足をつけたような兄弟たちとおしあいへしあいザコ寝をしている。農村へいくとさらにこれがすさまじいことになってくる」

「この国の土と水はよほど多産なのである。戦争さえなければほんとにいい国なのである。戦争と搾取さえなければいい国になれる国なのである」
(「ベトナム戦記」より ※1960年代の話)

それまでの私にとって、ベトナムやベトナム戦争は遠いところにありました。それが現地に行って感じることで、身近な存在となりました。ボートピープル関係の報道をテレビや新聞で見た記憶はありますが、「ベトナムの貧しい人たちがオンボロな船で逃げてきた」程度の理解しかできていませんでした。南ベトナムと北ベトナムに分かれて戦い、ひとつの国がなくなったことなどわかっていませんでした。ベトナム戦争後、南ベトナムのそれなりの地位にいた人たちは、ベトナム戦争後捉えられ、強制収容所みたいなところに入れられ、拷問されたと言います。そうなりたくない人たちが大金をはたいてボートに乗せてもらい、時には騙され、命からがら逃げてきた。だから、逃げてきた人たちはそれなりの地位でそれなりにお金を持っていた人だったわけです・・・。考えてみたらアタリマエです。そしてやっとたどりついた日本で難民として受け入れられることはほとんどありませんでした。

「日本の世論はベトナム戦争中、熱烈に他国の解放闘争を支持し、その反面、武器の部品やモーターバイクや電気製品をしこたま輸出して得た繁栄を直接間接に享楽することに、何ら疑問を感じなかった。おまけに戦争が終わればすべてを米国と旧政権の腐敗ぶりに押しつけ、『私たちは単一国家ですから他人のことは知りません』では、諸外国もあきれて物が言えぬだろう。(近藤紘一)」

何が言いたいのかと言うと、要するに、中国に1000年も支配され、その後80年もフランスに植民地支配されたベトナム。中国やフランスに搾取されていなければ、ものすごく豊かなはずのベトナム。ベトナム戦争は、共産主義を選んだ戦争ではなく(結果としてそうなりましたが)、他国の支配を振り切ってベトナム人の国家を取り戻す戦いだったのだ!・・・ということがわかったのでありました。(なんか、自分の趣味(?)に付き合わせてしまってすみません)

IMG_0228
工芸品を作る障害者の人たち
(枯葉剤の被害者らしい)


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