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ベトナムから帰って(ベトナム戦記)
これは4/14に書いていたもの。

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ベトナムに行って、3日目だったか4日目だったか、開高健についてググったら、なんと誕生日が私と同じであった。
開高健が「ベトナム戦記」を書いていたことすらも知らなかったし、
ましてや、マジェスティックを宿にしていたことなんか知る由もない。

たまたま泊まったマジェスティックの部屋で、その昔、開高健が滞在し、「週刊朝日」の原稿を書いていた。
(それがまとまって「ベトナム戦記」になった)

そこまでだったら、あまり開高健に興味を持たなかったかもしれなかったけれども、誕生日まで同じとは。
奇妙な縁を感じて、「ベトナム戦記」を読もうと思った。

以下、印象に残った部分を書き出してみた。

「この国は貧しい。おそろしく貧しい。女も男も貧しい。市民も農民も貧しい。サイゴンも一歩裏通りへ入ったら電気が買えないので豆ランプやロウソクをともしている。娘たちは豚小屋のようなどぶとニョク・マムの悪臭のたちこめた家のなかで綿屑に手足をつけたような兄弟たちとおしあいへしあいザコ寝をしている。農村へいくとさらにこれがすさまじいことになってくる」

「空にまでとけこむ水田の巨大な豊穣さと土にとけこむ貧しさのこの対照は異様なものである。何者かによる搾取のすさまじさをつくづく感じさせられた」

「この国の土と水はよほど多産なのである。戦争さえなければほんとにいい国なのである。戦争と搾取さえなければいい国になれる国なのである」

「この荒野は異様なことになっていた。ジャングルが真っ赤に枯れているのである。街道に沿って左右何キロかのジャングルがことごとく枯れ、木は倒れたり、折れたりして槌にとけかえていた。たっている幹でも枝の葉はことごとく枯れて赤くなっていた」

「・・・砲兵隊、大砲射ツ。105。155。ジャングルト村。朝カラ夜、射ツ。イツデモ射ツヨ。VC(ベトコン)死ヌ。百姓イッショニ死ヌ。VCデナイ百姓死ヌヨ。イッショニ死ヌネ。生キル百姓VCニナルヨ。砲兵隊、一生懸命敵ヲ製造。秘密。言ワナイデ。オ前日本ニ帰ル。オ前新聞ニ書ク。ホントヲ書ク。秘密ネ」

「彼は私とお茶やビールを飲むたびにこの戦争の使命を説いて聞かせた。ここでベトナムがコミュニストの手におちるとタイ、マレー、ラオス、カンボジャなど、東南アジアが一挙に陥落する。」

「こういう砲撃は生き残った農民をベトコンに走らせるだけであり、政府は必死になって敵を製造しているのだと告白したが、まったくそのとおりだろうと想像する」

「ベトコンが公式的な要求として綱領や宣言や総括のなかでうちだしていたことは、ベトナム国内からの外国勢力の撤退、貧農の解放、いかなる外国のヒモもつかない連合政権の樹立であった」

「けれど、もしベトナムを舞台にして、最前線のアメリカ人を主人公にして私が小説を書こうとすると、題は、“気の毒なアメリカ人”ということになるだろう。アジアを理解できないワシントンと、それをつきあげる将軍連中の作戦計画、砦やジャングルで“イエス・サー”といって死んでゆくアメリカ兵、このあいだには透明で深い溝があると私は思う」

「アメリカは負けるが勝ちという知恵を身につけるには若すぎるのであろうか。負けたことがなく、異民族に踏みにじられたことがなく、戦争があるたびに豊かになった。何一つとして戦争を知らないアメリカは、誇りと偏見のために、ベトナム農民が建国当時のアメリカ人と同根の情熱にかりたてられてアメリカに反逆しているのだというところまで洞察できないのであろうか?・・・・・」



近藤紘一氏の「サイゴンから来た妻と娘」を読んだ印象では、ベトナムの農民は豊かだという印象を持った。
しかしながら、開高氏は「おそろしく貧しい」と言う。
土地は豊かであるけれども、他者から搾取されることで貧困に陥っているという。

ベトナム戦争の背景には、中国における1000年の支配とフランスにおける80年の支配が深く根ざしている。
ベトナムの人たちは外国人による支配にうんざりしていた。独立を求めていた。

日本は周りを海に囲まれて、他国と国境を接していない国なので、
第二次世界大戦で米国に占領された以外は他国の侵略を受けたことがない。
日本人である私は、日本人らしく(?)脳天気だった。
ベトナム人の、長年にわたる他国からの支配を受け、抑圧されていたことに考えが及ばなかった。
それが、(自分の無知に対する)カルチャーショックでもあった。

ベトナムにいた間、常につきまとっていた疑問は「共産主義って何?」ということだった。
学校で習った共産主義は、「私有財産を持たずに給料は国から支給されるもの」というような認識でしかなかった。

ベトナム人は、何故ベトナム戦争をしたのかがわからなかった。

アメリカは「ベトナムがコミュニストの手におちるとタイ、マレー、ラオス、カンボジャなど、東南アジアが一挙に陥落する」から戦争をしたのでしょうが。

背景にはソ連との冷戦とか、いろいろあるのでしょう。
よくわかんないけど。


ベトナム戦争が共産主義vs資本主義 の闘いであったのか?
と思っていたが、ベトナム戦記を読んでそうではないことがわかった。

ベトコンの中でコミュニズム(共産主義)の人は少なく見積もると1~2%、多く見積もっても30%。
アメリカが砲撃を加えれば加えるほど、被害が出て、外国人に対する反抗精神が芽生え、農民はベトコンに流れる。政府軍の兵隊として戦っていても、途中で逃げてベトコンになる。

ベトコンは、外国勢力からの独立、ベトナムの、ベトナム人による、ベトナムのための国家を求める人々であった。それに対し、士気の上がらない政府軍(ベトナム人)と米軍では、精神面で最初から結果は見えていた。

開高氏がベトナム戦記を出したのが1965年。
この時点で、彼はアメリカに先がないことを見抜いていた。
ベトナム戦争が終結したのはそれから10年も経過した1975年。
もっと早く戦争を終える勇気があったら、悲惨な人生を送らずに済んだ人がたくさんいただろうに。

ベトナムに送られたアメリカ人たちも惨めだ。
どこに潜んでいるかわからないベトコン。
連日連夜続く攻撃。
枯葉剤をまき、自らもその被害(後遺症尾)に苦しむ。
戦争はいやだと思いながら、命令に従わざるを得ない。
1年の兵役の終わりを指折り数えて待つ日々。

やっぱり、戦争は悲惨だ。

罪もない人々が何故苦しめられなければならないのか?

世の中は無常だ・・・・という結論にしかたどり着かないのか。

むむ~。なんか、いやだ。





「サイゴンから来た妻と娘」
ぐちゃぐちゃの頭を整理しようと思って、
ベトナム関係の本を読んだ。

まずは「サイゴンから来た妻と娘」

近藤さんの文章、すきだな。
会ったことないからわからないけど、ご本人の性格がにじみ出るような、あったかい文章。

ボートピープルの船が日本にきて、そこに奥さんと一緒に行かれた時の記述もあった。
それを読んではじめて、ボートピープルでベトナムから逃れてきた人たちは、ある程度の知識階級が多く、南ベトナムで相応の地位にいた人が多いということを知った。
「ベトナムの貧しい人たちが逃げてきた」という、私の認識とは大違い。
おんぼろ船にすし詰めになりながら、命からがら逃げてきた人たち。
戦後の大混乱。
家族との別離。
「戦争」って、そういうことなんだ。

そして、事情を汲むことのできない日本という国。


以下、印象に残った部分の抜粋。

感想文でも書こうかなと思ったけど、時間がたちすぎてて無理。(^_^;
これは3/31にメモしていたもの。

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「サイゴンから来た妻と娘」(近藤紘一)

もともと瑞穂の国なのだ。とくにサイゴン以南のメコン・デルタ地方は世界有数の穀倉地帯とされている。戦争が終わり、デルタ全域を有効に活用できるようになれば、二毛作、三毛作で年間一億人分のコメがとれるはず、と試算されていた。いま、ベトナムの総人口は五千万人ほどだから、この地域だけで全国民を養ってまだ一年分近いおつりがくることになる。

水と気候に恵まれているから、農民の仕事ぶりものんびりしている。水牛にスキを引かせ、田植えさえすれば、あとは稲の方が勝手に実ってくれる。

途方もない自然の富に恵まれてしまったこの国の人々

馬鹿らしいほどのメコン・デルタの豊かさ

あれだけの量の爆弾をたたき込みながら、米国が敗れた理由の一つはやはり、この国の自然の底知れぬ生命力、復元力を正確に計算に入れていなかったからではないか、と思う。

167 しかし、考えてみると、実際にこの国の歴史の過酷さは、島国の温室に育った私たちの想像を絶したものだった。

167 何世紀にもわたって反覆された中国軍の侵略と支配、十三世紀の蒙古軍の来襲、近代以降は仏植民地支配、日本軍の進駐、そして今次の戦争---。直接外国軍の圧力がないときは、国内が分裂して内乱が相ついだ。

230 日本の世論はベトナム戦争中、熱烈に他国の解放闘争を支持し、その反面、武器の部品やモーターバイクや電気製品をしこたま輸出して得た繁栄を直接間接に享楽することに、何ら疑問を感じなかった。おまけに戦争が終わればすべてを米国と旧政権の腐敗ぶりに押しつけ、「私たちは単一国家ですから他人のことは知りません」では、諸外国もあきれて物が言えぬだろう。

230 私たち一人一人の、無意識の心の貧しさを、私はときおり空おそろしく思う。

ベトナムに行ってきた。その19
2月27日(月)帰国

長かったような、短かったようなベトナム旅行も今日で終わり。

バインミー(ベトナム風サンドイッチ)をどうしても最後に食べたくて、昨晩あちこち歩き回って探したけど見当たらなかった。
サンドイッチは大体朝食べるから、夜には見つからないのが当たり前なのだけど、食べたかったのだもの。

ホテルで「サンドイッチ、どこかで買えるかなぁ~?」ってきいたら、
「朝食に用意してあげましょうか?」って言ってくれたので、
お願いしておいた。


はい、どうぞ。

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ウェイトレスさんが置いていったソレは、私が食べたかったバインミーではなかった。(;_;)
食パンではなく、バゲットに挟んだやつが食べたかったの~。

ま、しゃーないわな。

パンにバターを塗って、ベーコンをはさんで、ヌクマムをかけて食べる。
まぁまぁ、うまい。
ヌクマム最高!

あれ?
いつもついてくる豪華なフルーツがないんだけど???


そんなこんなで最後の朝食を終えてチェックアウト。

フロントで支払ったドルが古すぎて使えない・・・とフロントのおねえちゃんが言う。
そないなこと言うたって、それしかないんだからしゃぁないやん・・・
「カードを貸して」とかなんとか言われたけども、
そこに正義のヒーロー(?)、アメリカ人登場。

フロントの姉ちゃん「これ(ドル)、使える?」
アメリカ人の兄ちゃん「問題ないよ」
「じゃぁ、交換して」
「はいよ」
ってな具合で無事交換終了~。

アメリカ人の兄ちゃんは「『銀行』って書いた札を首からさげとこか?」などとジョークを飛ばして去っていった。

まぁな、2000年にアメリカ行った時の残りのドルだからね。
「古くて使えない」と言われても仕方がないよね・・・。

外に出たらベルボーイが「タクシー呼ぼか?」とうるさい。
「いいから」と言ってもしつこい。

「バイクタクシーで行くからいい」
と言ったつもりだったら、
ホテルの目の前のバイクタクシーを呼び止めやがった。(-"-;

あーん、ホテルのバイクタクシーじゃなくて、街角で屯しているバイクタクシーを拾おうと思ったのに。
だって、ホテルのバイクタクシーは、自分のシマを持ってるからそれなりに稼げてるわけじゃん。
それよりも、シマを持ってないバイクタクシーを拾いたかったのに。

でも、バイクタクシーのおっちゃん、その気になってるし。
気の弱い日本人。
言われた通りにバイクタクシーにまたがる。

「これでいい?」って、お金を見せて「OK」で交渉成立。
相場はAさんたちに事前に聞いておいたからボラれる心配もない。

国民百貨店で買ったマスクをかけて、ヘルメットをかぶって準備OK。
朝のホーチミンの街をバイクで走る。
空港まで20分くらい。
快適なツーリング(?)でした。
やっぱ、タクシーじゃなくてバイクタクシーの方が正解だよ。

最後だし、「何かあった時のために」と、少しだけ残しておいたドンをバイクタクシーのおっちゃんに渡して「カムオン(ありがとう)」と言ってかっこよく別れた。

でもどっちに行けばわからなかったりする。(^_^;

無事に国際線について、チェックインをしようとカウンターに並んでいたら、後ろで日本語で話しているイスラム系のおっちゃん3人。なんで日本語で話してるんだろ? 「飴の中に虫が入っていた」とかなんとかくだらんことをしゃべってる。
私:「Where aye you from?」
なんで、こんな時に英語しゃべるんだろ?
ちゃんと日本語しゃべってるやん・・・。

どっかとどっかと、どっかの国(中東)出身の3人で、日本で仕事している人たちであった。
こういう時って、日本語モードに切り替えるのに時間がかかるのはなぜだろう?

そんなこんなで無事搭乗。



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雨の台北。
たしか13℃くらいだったかな。
半袖にペラペラのジャケットしか持ってなかったので寒かったよ~。
(冬服はみんな福岡空港に置いてきた)

台北まで来るとほとんど日本。
周りには日本人しかいない。

「お疲れ様で~す」って。
“日本文化”丸出し。
ちょっとシラける。
なんか、大きな会議が台北であったらしい。

前に台北に寄った時は、フィリピンの帰りだった。
あの時は、日本人のケバケバおばさんが買い物しまくってた。
はずかしくなって、日本人じゃないフリしてた。(ばればれ)


台北では、またもや搭乗口が変わってた。
「またか」って感じで慌てない、慌てない。
もう、慣れたもんですよ~だ。

というわけで、無事に福岡に到着。



と、旅路はこうだったのだけどね、
頭の中は結構大変でした。
カルチャーショックというか、なんというか。
自分の無知を再認識する旅でした。

ベトナムに行って、
ベトナム戦争という傷跡に触れて、
なんで戦争をするんだろう?とか
自由主義とか、共産主義とか、
他国からの侵略とか、
ボートピープルとか・・・

考えても仕方がないことで頭がいっぱいになって
かなりへこんでた。

目の前にある新幹線が、現実ではない幻のようで、
「あー、帰ってきてしまったんだ」って、
帰ってきちゃいけないような気がしてた。

ほんの少ししか日本を離れてなかったはずなのに、長いこと離れていた気がしていた。
同時に、ベトナムで起きたことが夢だったようにも思える。

重たかった。

向こうではiPhoneが使えるもんだから、
今までの旅では調べようのないことでも、ネットを使えばすぐにわかる。

中国やフランスなど、いろんな国に虐げられてきたベトナム。
虐げられつつ、北部から南部に進行して国を広げたベトナム。
少数民族もたくさんいる。
カンボジアへの侵攻。
やったりやられたり。

単一民族の国・日本に安穏と暮らしてきた自分にはわからなかった。

ボートピープルの意味さえも、
「ベトナムの貧しい人たちがボートで逃げ出してきた」くらいの感覚でしかなかった。

ショックだった。
ショックだった。
ショックだった。

ベトナム戦争時、
米軍もだろうけど、韓国軍も悪事の限りを尽くしてる。
それを韓国は今でも認めていない。

虐殺、強姦・・・
日本軍の従軍慰安婦問題もひどいけど、
同じくらいか、あるいはもっとひどいことを韓国軍もやってるじゃないか。
日本は一応、非を認めてる。
だけど、韓国は認めてない。
韓国の方がひどいじゃないか。

枯葉剤も、アメリカは非を認めていない。

苦しんでいる人は、皆、弱い貧しい人たちで、
謝るべき立場の人たちは、遠いところでふんぞり返ってる。

それが許せない。

ベンタイン市場で物乞いしていたおばあちゃんも、
枯葉剤の影響か、足があらぬ方向に曲がってしまって、手で足を動かしながら動き回って本を売っていた人も
教会の前で皮膚ボロボロになりながら、物乞いしていたおじさんも、

みんなみんな被害者じゃんか。

みんな、一生懸命生きてて、
それなのに、貧しくて、苦しくて、

なんで共産主義がいいの?

なんで戦争なんかするの?

なんで韓国やアメリカは非を認めないの?

なんでなんでなんで?

頭の中がぐちゃぐちゃだった。

帰国時はそんなブルーな気分だった。



なんだかんだで、猫が待つ我が家に24:00頃到着しました。
ごま、ただいま。
長いこと、一人ぼっちにさせてごめんね。



ベトナムに行ってきた。その18
2月26日(日)メコンクルーズ(3)

だらだら書いても退屈なだけだろうから(手抜きしたいだけとも言う(^_^;)
記憶があるとこだけ、写真を解説する感じで、以後、いきます。

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陸にあがって、いろんなところを連れ回されました 案内されました。

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これ、なんだったけな~?

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木の実を割ると中に綿みたいなものがたくさん詰まっていて、これを枕に詰めるんだそうです。
子供たちが人懐っこくてかわいかった。

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ジャックフルーツ

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家には色とりどりの花が。

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ガイドのジャッキー。

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「盆栽ガーデン」・・・だそうな。
大層な宣伝文句を書いてあったんだけど、こんなもんです。

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蜂の養殖しているところを見学。

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団体様が行くと自動的にお茶が出てきて(ちょびっとだけ)
中にはちみつとレモンを入れて飲む。
ローヤルゼリーを出されて、「これを肌に塗るといいの」って勧められたけど、
ベタベタして気持ち悪いよ。
ただでさえ暑くて汗でベトベトなんだから。
こっちの人の英語、わかんなかった~。
シンガポールの人たちに通訳してもろた。(^_^;
シンガポール人の英語は発音が聞き取りやすい。

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ヘビの焼酎(?)漬けやら。
精力つくんだって。男の人たちが飲まされてました。
私はバナナの焼酎漬け(?)飲まされた。ゲコだってば!

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船着場に咲いていた浮草の花。
ホテイアオイみたいできれい。

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次はライスペーパー屋さんを見学。

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このお婆ちゃん。結構なお年に見えるのだけども、まだまだ現役というところがすばらしい。
農家の爺婆をなめんなよ、って感じ。
かっこよかったです。

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ツアーの同行者が体験。へたっぴ。

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おばあちゃんの手つきは鮮やかです。(そりゃ何十年やってるプロだもの)
左側のベージュ(黄土色)のやつは籾殻です。
籾殻を燃料にしてライスペーパー作ってるの。
これに感心!
火の加減を見ながら、籾殻を入れて調節してました。
籾殻なんて、今では日本では産業廃棄物ですよ。
昔はいろんなものに利用していたのに、今ではもみすりしたら邪魔者扱い。
その点、ベトナムでは籾殻がまだ有効利用されていて、それが嬉しかった。

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できたライスペーパーを天日で干す。

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こんなところに籾殻が保管されているではないか~!
写真見て気づいた。(^_^;

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今度はポンせん(?)屋さん。
焼いた砂の中にお米を入れて、お米のポップコーンを作っています。
いわゆる、ポンせんだよね?

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網に入れて砂を落とす。

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ここでも燃料は籾殻。
作業場のすぐ脇に籾殻の貯蔵スペースがあります。
いいなぁ~、この仕組み。
こんなとこを写真に撮るやつは私だけ~。
物を大事にする精神、ベトナムにはまだまだ残ってる。
大切にしたい。

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籾殻のくど。
これ欲しい~!
日本に連れて帰りたかった。(>_<)

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ニシキヘビにも触りました。

ほかにもココナッツキャンディーの工場とか連れて行かれたのだけど、
写真撮ってない。
とりあえず、お土産にココナッツキャンディーを少しだけ買った。

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またまたお船で移動~。
移動距離、結構長かったよ。

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途中、見えたリゾートっぽいホテル。
6人で12000円くらい・・・とか?
今度来る時は絶対田舎に泊まる!と決心した。

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広い、広~いメコン川。これでも支流。

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マングローブが生えてるよ。

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ようやくたどり着いたランチのレストランに向かう途中に生えていた稲。
ジャッキー、「ヨーコ、ヨーコ!ほら、稲だよ。みんな、ヨーコは日本で稲を作ってるんだよ」と大騒ぎ。(-o-;

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この時、既に13:30くらい・・・だったんじゃなかったけ?
やっと出てきたランチ。おなかすいたよ・・・。
揚げ春巻きとお肉と野菜にご飯。
かなり質素。
たぶん100円くらいじゃない?
ツアー料金安いから仕方ないか。
お世辞も出ないくらいの味。

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おねだりワンコ。
お客さんの後ろに座って、ひたすらじっと待つ。
くれないと別の人のところに行って同じことをする。
でも、この日は誰もくれなかった。
みなさん、ツワモノ?

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1時間くらい、自由時間があって、「散歩してきていいよ」と言われてちょっとだけまわったら、そのへんにいた鶏。これ、食用?

でも、大して見るものないし、暑くてクラクラするし・・・。
暇そうな中国人の学生が話しかけてきたけど、英語が通じないので、筆談。
英語をしゃべって、漢字で意味を教える・・・みたいな。
疲れてたので昼寝でもしたかったんだけど、暇つぶしにはちょうどいいか。
大学生で、初めての海外旅行で、3週間くらい旅をするんだと。

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レストランを出て、バスを停めた場所へ向かう。
途中の地元の人。
網をかけて漁をしてるっぽい。

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途中で留まってた豪華っぽい船。
こんなでっかい船が、川を通れるんだね~。



あとはバスでひたすらホーチミンへ。
エアコンがきかないので暑かった~。
あまりにも暑いので、私の席は後ろの方だったので窓を開けてたら、
東南アジアの香りがきつかった。(^_^;
まぁ、これも旅ですわ。

バスの中から「月光仮面」のバイクの人たちをがんばって写す。
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ウサギを30匹くらい(?)後ろのカゴにギューギューに詰めて走っている人がいた。
カゴの中はうさぎが身動きできないくらい、ほんとにギューギューだった。
あれも食べちゃうんだろうなぁ~。
(いや、なんでもないです。その土地の食文化ですもの)
写真撮りたかったけど、タイミングが合わなくて無理だった~。


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ベトナム最後の夜ですもの。
333(バーバーバー)ビールで乾杯。サークルKで買った。(^_^;
ベトナムにサークルKがあるんだよ。
ビール10000ドン。(約40円なり)
ホテルで氷をもらって東南アジア風。

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晩御飯食べに屋台でうどん!
一人屋台やったよ。
言葉は通じないから、人が食べてるのみて「あれ!」って。
おいしかった~。
トウガラシ入れすぎてちょっと辛かった。

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おなかいっぱいなのに、たまたま通りがかったまんじゅう屋さん・・・
ついつい買ってしまった。
うどんに比べて、超高いまんじゅうだった。
味が薄いので、ヌクマムが欲しかったけど、ないので、薄いまんま食べた。



ベトナムに行ってきた。その17
4/1に書いたのを最後にとまっていましたが(^_^;
気になっているので、ベトナム紀行(?)を続けることにします。

ちなみに、これの続きです。





2月26日(日)メコンクルーズ(2)

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バスはこーんな感じののどかな景色の中を走り抜け、
(確か、ここにアヒルが飼ってあったんだよね)

障害者の人たちが作っている工芸品屋さんに停った。
クチトンネルの時と同じ。
卵の殻などを使ってきれいな漆芸みたいなものを作ってる。

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そこで働いている人たちは、「ベトナム戦争時の枯葉剤の影響で障害を持って生まれてきた」のだと、
クチトンネルのツアーではガイドの兄ちゃんが一言もおしえてくれなかったことを、この時のガイド・ジャッキーは教えてくれた。

障害者の人たちの写真は撮れないけれど、
本当に、あらぬ方向に曲がった脚など、
その生活を想像するとかなりの困難が予想された。

土産物も買ってあげたい気持ちもあるけど、荷物になるのは嫌だし、
それよりも、むしろ、私はこの建物の屋根の裏側に使われている大きな葉っぱみたいなものに興味を惹かれた。


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Aさんがおしえてくれた、ニッパ椰子の葉っぱだろうか?
きっと、これで涼しくなるんだろうなぁ~。
こういう、自然素材がさりげなく取り入れられているところがすき。

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見学はそこそこに、道路をゆっくりと歩いていく水牛の親子なんかを眺めてた。
(親牛2頭と子牛が1頭いるよ)

まだ、農業に水牛を使っているんだよね。
そういうゆっくりした暮らしは、大変なのだろうけど、
やっぱり、いいなぁ~と思ってしまう。
トラクターで耕したら早いのだけど。


バスはひたすら高速道路を走り続け、やっと川についた。
メコン川の支流。名前は知らない。(^_^;

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ホテイアオイみたいな浮草がたくさん浮かんだところに、観光用の船がたくさん係留されていた。
帽子は持っていたのだけども、地元の人がかぶっているような傘が欲しくなって、ひとつ、魚の模様が入っている、普通のものの3倍ほどの値段がするものを購入。
でも、かぶってみても、すぐに風に飛ばされて役に立たない。
結局、ほとんど役たたずだったのだけど、戻ってきてから売り子の女の人に「飛ばされる」と文句を言うと、あごの布を直してくれて、快適になった。

メコンクルーズの、「水上マーケット」って言うから、川に色とりどりの果物などを乗せた小舟がたくさん浮かんでいて、物をやりとりしている様子が見れるもんだとばかり思っていたら、ちょっと印象が違った。

ジャッキー曰く、「朝早くはとてもbusyだけど、今(11:00頃)はもうひと段落してる」と言ってた。

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「こんな船に家族で暮らしていて、子供たちは学校にも行けない」(ジャッキー談)

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顔みたいな、おまじないの模様がクールです。

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交渉してるところ?

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船の舳先に棒を立てて、それに商う商品を吊るして何を売っているのかがわかるようにしてあります。

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船の舳先に立てる棒も売ってある。

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籾(米)を満載した船。百姓として、こういうのには反応します。(^_^;

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とりあえず、今日はこんなとこで。

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